ignorant of the world -散在思考-

元外資系戦略コンサルタント / worked for a Global Management Consulting Firm in Tokyo

俺はブロガーじゃねぇ!が俺のブロガー精神論。

http://www.flickr.com/photos/99456529@N00/6218024260
[http://www.flickr.com/photos/99456529@N00/6218024260:title=photo by J Mark Dodds [a shadow of my future self]]
みんな書いてるよね。
俺も村民なのかね。書きたくなったので、いましかない気がして言葉に残そうと思う。
俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠
ブログのアクセス数の伸ばし方とか精神論とか - とある青二才の斜方前進
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/01/11/112842



ブログ運営。これは法人でやったり、個人で有名になりたい!って思う人以外関係ないよね。僕は、アフィリエイトとか、Adsenseを貼ってる派だけど、それで儲ける下心はまったくない。こういう世界があって、こうやってお金が流れるのね、ってやりながら学ぶことも多いので、手を出してみて面白いと思っているくらい。それで儲けることを目指した瞬間、破たんするので辞めた方が良い。(一瞬、そっちに振ろうと血迷った時期もあったけど・・・)
あと、テーマを絞れ、うんぬんの話。これも儲けたい/アクセス稼ぎたい人用だね。結局、検索エンジンからの自然流入と、固定客の商売なんだけど、固定客の人はテーマで選んでる人は少ないと思うのよね。シロクマの人とか、コンビニ店長の人とか、デマこいてんじゃの人とか、文体やらそこから滲み出る人柄にファンがついていると思うわけよ。iPhoneアプリとか機能系の価値を、ブログの価値として訴求し始めた瞬間、競合がウヨウヨいるし、中途半端になるから辞めれ、と思う。そういう残念なブログはたくさん見飽きた。


ブロガー精神論。これに関してはちょいと書けるかもしれない。自分のことを「ブロガー」と思ったことは、一度もないんだけどね。
僕もこれまで4つくらいブログ潰してきて、世の中のブログの90%以上が、読者1、状態なんじゃないかと思っている。どんなに頑張ってもPV10-20/dayがせいぜいだ。みんな心が折れてゆく。どこの世紀末か知らんが、厳しい現実があるのは実感してる。
そんな人にとって、1つの気休めなら書けるかもしれない。


◆◆◆


昔話から始めよう。


ネット業界に飛び込んだのは、2005年。1年後には、ネットエイジに移った。エンジニアの中に放り込まれて、アワアワしていた。その頃は、ネット業界では遠く西海岸で流行りの「Twitter」ってものが使い始められていたし、SNSといったら「mixiはダサい。ギークはGREEだよね。」的な空気だった。「web2.0」なんて死語が、至る所で叫ばれていた時期だ。「アルファブロガー」という言葉も輸入されて、瞬く間に日本のネットの市民権を得た。
そんなときに、「ソーシャルブックマーク」に出会った。


はてな村は元気に、古き良き時代を、みんなで楽しんでいたと思う。


僕は本格的にパソコンを使うようになったのが、上京後、大学1年の頃だから、遅咲きのルーキーである。咲いたかどうかはわからんが。とにかく危機感を持って、2年目には、ネット業界に飛び込んでいた。マッシュアップ、とか、CGM、とか、ようわからん時代の空気に毒されていたように思う。


「あぁ、東京の渋谷って都会で、おれ働いてるんだなぁ。実感わかねー」
「笠原君と昨日ゴルフ行ったよ〜とか普通に聞こえてくる」
「TVで聞いたことある会社と、人間関係がすぐ近くの人ばっかだよ、これやべー」


ひたすら大都会東京への妄想を働かせて育った田舎者が、渋谷オフィスの外でタバコを吸いながら、
ものすごくしみじみ思ったのを鮮明に覚えている。それくらい感慨深かった。


そんな凄いひとたちが皆、はてな、に注目していた。で、だいたいの人が村民だった。
そう。はてな村は、いわゆる、僕の憧れの場所、だったんだ。
そこに飛び込んでみたい。でも怖い。そんなことを思いながらブログを開設した。
はてな村に限った話でもない。みんな、ブログの世界に触れるのって、最初は「読者」という立場で、TV番組を見る視聴者の立場なわけです。ブログを書いている人は、PC画面を挟んで「あっち側」の人。はてな村で有名な人はある種「ひな壇芸人」みたいなもんで、ブログ主が「司会者」みたいなもんに見えていた。ネット初心者にとっては。
いまでこそ、Amebaのように、誰も読まないような日記の延長ブログで、中高生が携帯からポチポチ見てきゃっきゃする商売が成り立ってるけれど。本来、そういうもんじゃねーんだよな、と。そりゃSNSでやっちゃってくれ、と思う訳です。SNSとブログの中間みたいな業態なんだよな、Amebaは。まぁ、ほぼそんな形に落ち着いてるけど。


ちょっと話が逸れた。ブログを書いて、自分みたいなパンピーに記事が届くような世界って、憧れるわけです。別にアルファブロガーまで行かなくても、すげー面白いブログ書いてる人いっぱいいて。よくそんなにしゃべる(書く)ことあるなーと。
自称ブロガーの人たちは口を揃えて「書きたいから書く」と言っていた。そうだよな、芸人だって仕事だからって義務感だけで頑張ってるわけじゃなくて、本当に「面白いことをしゃべりたい」「みんなを笑わせたい」って思ってやってるわけで。
書きたいことがなくて困る段階で、君は、ブロガーじゃないね。
そう言われた気がした。だから、僕が「あっち側」に行くには、書きたいことがある程度ないといけなかった。
当時は22歳、若かった。まぁまだ5-6年しか経ってないけど。1年くらいブログを書くのを辞めて、ようやくモヤモヤ言いたいことも溜まっていた。けど、言語化できない、よくわからない苦しみの中にいた。酷い便秘よりも苦しかったと思う。産まれそう・・・だけど、産まれない。そのストレスを発散したい、そんな場所に、はてなは最適に思えたんだ。



ストレス発散。それはある。
GTO世代ど真ん中だから、
 「言いたいことも言えないそんな世の中じゃ〜」
なんて脳内バックミュージックで記事を書いていたのは懐かしい。
でも、案の定、すげー談論系ブロガーの人みたいに長文はかけないし、ブクマを稼げるような切れ味抜群の面白い記事も書けなかった。「俺にはそういう素質はねーんだな」って早く気づかせてくれてありがとう、はてな。



炎上も経験した。あれは人生観変わった、まじで。早いとこ済ませて良かった。大人になるための通過儀礼のようなもんだから。何なら、世の中を「炎上経験ある人」「ない人」に二分してもいいくらい。あれは、人間を変える。
はてなには、いろいろ苦しめられた。
ネットエイジの人たちには、炎上している記事の事は、最初黙っていた。「実は僕の記事です・・・涙目」って暴露したら、呆気にとられてた。「いい経験してるね!」ってみんな笑って楽しんでた。そんな空気。



もともと炎上なんてなくても、自分の考えを整理して、100%文字に落とせないことにイライラしていた。
炎上の経験もあって、自分の考えを、文字に落とすことが、こんなに苦しいとは!とさらに。それから数年間は、ずっとずっと悶絶していた。記事を1つ書いて、公開ボタンを押すときにも、言いたいことの60%くらいしか書けない残尿感。
便秘の次に、ひどい残尿だ。もう踏んだり蹴ったり。
ブログを書いていたら、文章力上がるってのは、ありゃ嘘だ。上がった気がするだけか、その程度の日本語力で言えちゃうくらいの浅いことしか考えにないんだ。みんな勘違いしてる。
ようやく言いたいことを文字に落とせるようになったのは、仕事でめちゃんこ鍛えられたから。そのレベルで日本語に向き合った経験がなきゃ、無理だった。僕の場合。



仕事が本格的に始まると、悠長な思考時間もとれない。ジュニアの1-2年は、本当に地を這うように、苦労しまくった。血反吐もはいた。それでも、あきらめずに、できるようになることを根拠なく信じていたから、やっちゃった。幸い壊れなかったし、誰よりも高く飛べるようになった。人生の120%を仕事にささげるような頭の使い方をしていていた。
ブログは、そうした勘違いを吐き出す場所だった。もの凄く背伸びして、自分の学びに転化するよう書き残していた。



仕事柄、いろいろな人間や社会の一面を目にするようになって、言いたいことができた。何かの喜び/悲しみとか、感情の機微がきっかけになって、よくよく考えてみると、言いたいことに転換された。
外資系だから、人の評価体系はしっかりしていて、ズバズバと自分に足りないところを指摘されたりもした。できなきゃ昇進できないし、面白い仕事にも入れてもらえない。背水の陣だから、人間、必死で考えた。


ただ、俺はアルファブロガーにはなれねー、と知っていた。
困り果てて、考えたことを正確に文字に落とす、自慰行為を表現する方向に舵を切ったときだった。
いまの思考系・仕事系のブログの出来上がった瞬間だった。




  • 憧れの場所
  • ストレス発散
  • 人間を変える場所
  • 文章力上がるってのは、ありゃ嘘だ
  • 勘違いを吐き出す場所
  • 自慰行為


いろいろ書いたけど、全部、後付け。
よくある屁理屈だよね。自分で書いておきながら。


結局、ブログなんて、どんなあり方でも成立しちゃうんだよねーと思う。更新頻度が高い方がPV稼げるとか、RSS登録ボタン置いてみるとか、ブログ論()だろと。
そりゃ、アマゾンの本紹介したり、アドセンス張ってみて色々反応を見るのは楽しい。ブログ間でトラックバックの打ち合いを通じて、お隣さんと挨拶を交わすのも全然ありだ。わかる、その気持ちは。


冷たい現実が、それじゃ続かないこと、を教えてくれた。


世の中に何か問いかけるほどの立派な思考なんてのも、持ち合わせていない。
このブログの想定読者は、僕。にしている。問いかけは、すべて自分自身に向いているんだ。


僕の記事は、受け取り方によっては、自慢や自己顕示欲丸出しのように見えるかもしれない。それは仕方がないことだと諦めている。想定読者が自分になるからこそ、他人に認めてもらう、っていう下心がゼロになったからこそ、素直に「苦しい。助けて」とか「やったぜ!こんなことできた!」なんてことが、さらけ出せる。逆説的だけれど、想定読者を想定しないことで、自慢や自己顕示欲が透けて見えるのは、当たり前なんだよ。だって、隠そうとすらしてないから。
たまに、ピンポンダッシュのように、コメント書き去る人がいるのだけど、それすらも残してるのは、そのコメントに共感して、スッキリする人も少なからずいるんだろうな、と思うから。別に読者に認めてもらうために書いているわけでもなく、公開しているわけではないから、気にならないのが本音だけれど。それを、ブログ主が言っちゃいけないのかもしれん。


そもそも、承認欲求や、自己顕示欲だけで、ブログは続かない、ってのは自分でブログ書いてみりゃ一瞬でわかる。そりゃ当然で。誰も承認してくれないし、自己顕示欲も空しさだけが残るのがブログだから。それくらい世間は冷たい。
だから、それ以外に、自分がブログを書く拠り所を見つけておかなければいけない。最初から、これってものがあれば良いけれど、だいたいそんなもんは後から見つけるもんだ。見つからなければ、そっとブログを閉じて、また別のブログを始めれば良い。


世の中への疑問/不満を、ブログを通じて、自分の学びに転化する。


これが僕の答えだった。ブログは、単なる「転換装置」の位置づけだ。
面白い記事は書けないし、談論系の人みたいに、何かしらホットなテーマで気の利いた記事を書くこともできない。ただ、考えることは辞められない趣味みたいなもんだから、苦労しながら文章に落としている。
人間、悩んだり考えたことは、すぐに忘れる。正確に言えば、もっと別の次元に進化する。そうやって進化を繰り返すと、昔考えていた場所には戻れない。思考には、そういう不可逆性があることに気がついた。
その時、感じたこと、考えたことは、なるべく早く冷めないうちに言語化しておかないと、再現不可能になってしまう。
ある種の危機感で、ブログを続けていると言ってもよい。だから、別にブログという形態でなくても、evernoteやメモ帳に書いておくだけでも十分ちゃ十分。


それでも、ネットの広大な世界に、駄文を公開し続ける理由は、ただ1つで。
読者の中に、遠く離れた友人や、お世話になった諸先輩方がいるからだ。
彼らに向けて、近況を伝えている。SNSで十分じゃねぇかと思うかもしれないが、シロクマ先生の言う「長文を書ける歓び」がそこにはあって、


長文でしか伝わらない行間がある。


それを伝えるために、いまも書き続けている。
近況報告がわりに。ある種、手紙みたいなもんだ。文通形式で、互いにたまに更新する長文を読みあって、互いの健闘ぶりを称え合う。そんな感じ。結局は、ブロガー同士の緩いつながりに助けられてんじゃねーか、というのは確かにそうかもしれない。
想定読者1=自分、の文章ですら、実は、遠く離れた知人にとっては、元気でやってるな、というのを伝えるには十分機能する。そんな価値を見出しているのかもしれない。メールやTwitterではない「様子見」なんだよね。
たまたま近所を通りかかったときに、軒先をのぞきこんで、元気な子供の声が聞こえてこれば大丈夫。みたいな。


当然、最初からそういう相手がいた訳ではない。リアルのつながりや、ネットの中での交流から、後からついてきたものだ。オフ会なんて、無理に参加するこたーない。俺は絶対いやだ。
そんな"ゆるふわ"ブログで良いんじゃないか。
無理に一眼レフ買って、誰も見たくないような空の写真を撮る必要なんてない。個人メディアとして、名刺代わりに会社に伝えるなんて、愚の骨頂だ。そんなことのために、貴重な時間を使う必要はない。
目いっぱいリアルの世界を楽しんで、必死に記憶に刻み込もう。刻み込むプロセスで言語化することが有効なら、ブログにしたって良いし、手紙を書いたっていい。


大事なのは、読者ゼロでも書き続けられるような動機だ。それが、ブログ主には何よりも必要なんだと思う。
たとえば、
 写真を撮るのが好きー>ある程度、溜まったからブログにしてみよっかなぁー>家族や友人にも見せよう!
 社会について考えるのが好きー>色々言いたい意見あるからブログにしようー>読者のひとから反応あるかなー
こんなノリで、上手くいけば、好循環が生み出されるもんだ。
そういう意味では、最初の動機が肝心だ。ブログなんて無くたって、どうしても辞められない、続けてしまうことが、動機になり得る。
別に身構える必要はない。ブログを書かなくたって、死ぬわけじゃない。人生損することだってない。所詮、その程度のものです。「ブログ書くとこんないいことあるよ!」的な本が溢れているけど、それを商売にしてる人のポジショントークに騙されてはいけない。変な自称・ブロガーも増えてるが、クソ喰らえだ。


あなたの人生に、ブログなんてなくたっていい。
それが世の中の大半の人にとっての答えだと思う。2chの住人になるもあり、mixiの日記やらmobageのメッセでもよい。


それでも文章を書くのを辞めれないなら、「ブロガー(笑)」みたいな存在を目指す必要なんて考える必要もなくなってるはずだ。理由云々を抜きにして、内発的な動機があって、暇さえあれば、やってしまう・辞められないことがある。
それは、もう立派な趣味だし、胸を張ってネット空間にさらしても大丈夫。


だから、


「俺はブロガーじゃねぇ!が俺のブロガー精神論。」


現に、一度も「僕はブロガーだ」なんて思ったことがないし、いちいち、ブロガーたるもの・・・なんて考えてたら続かない。
今後も一生、自称・ブロガーを名乗ることはないだろうと思うよ。それが精神衛生上も一番安定する。