解像度という便利な言葉に逃げてないか?
前回のエントリーから3年経ってしまいました。
激動のコロナ禍での経営再建は、正直、喪失感と既視感が強く、困難に興奮する自分ですら楽しめたものではなかったです。3年間、苦労して花を咲かせて、これからさらに!というタイミングで腰を折られてしまい、、、やるせなさと責任感の中でV字回復させて、気が抜けました。それはまたどこか別のエントリーにでも。
2022は、整理の年に充て、
2023は、ステージを変えて、
いよいよスタートアップに戻ってきました。
面白いドメインで、
良い仲間と、
チャレンジングな市場に挑む。
理想的です。思い描いていたような「力」がつき、存分に発揮できるタイミングに来たことを実感しています。
ようやく…長かった…感慨深い…。
プライベートや趣味(事業)も充実しています。こちらも、ようやく、ようやくです。好きなことができる環境まで持ってこれました。程よくリラックスして仕事や趣味に没頭できるのは30年来、夢見てきたことです。気持ちの良い秋晴れの青空の下、自宅の屋上でハンモックに揺られながら、少しだけ人生の満足を感じてしまっていますが、許してください。
(余韻。。。)
さて。わざわざエントリーするほどではないけど、なんとなく筆をとってみました。
久々にスタートアップどっぷりに戻ってきて。
懐かしさと新鮮さと。
いとしさと切なさと心強さと。
この10数年の棚卸しをしながら、日々の経営をドライブしていて。なかなか、どうして、違和感を覚えることも多いので備忘メモしておきます。
たくさんあるうち、
エントリー、No 1
解像度。
うぇい。何なんだこれは。知ってはいましたよ。VCやスタートアップ界隈で使われてて、ちょいちょい耳にしたし、自分もたまに使ってたし。
ただ、あまりに便利な言葉すぎて、困った時に必ず出てくるのは違いませんか?頻出すぎて、疑問しか沸きません。
ぶった斬ります。
単なる「思考停止ワード」です。
某総理を「検討使」って馬鹿にできません。「解像度をもっと上げよう」なんて、落ちぶれた日本企業じゃないんだから…社内では、早速、使うのを禁止しました。特に経営陣。
具体的に、何が論点なのか的確に言語化できない議論ほど、生産性低いものはありません。的確に言語にできないから、思考が律速されて、意味のある分析や行動に結びつきません。これは断言します。
解像度、と言った瞬間に、相手の予想外な活動にサジを投げて祈るのみになります。本来、自分やチーム、メンバーに投げかけるべき言葉を、さらに咀嚼して、分かりやすく前に進む言葉に変換する作業に燃料を使いましょう。怠ってはいけません。
解像度。あしたから禁止でお願いします。