ignorant of the world -散在思考-

元外資系戦略コンサルタント / worked for a Global Management Consulting Firm in Tokyo

雌伏(しふく)の時を経て:(1)仕事編

Heavy weight.

雌伏(しふく)の時を経て:(1)仕事編

ブログの筆をとれなくなって、どれくらいの時間が経っただろうか。
自分としては、2014年、30歳になった年から、時が止まっている感覚がある。
ちょうどこの記事を無理やりアップデートしたのが最後という感覚だ。
yo4ma3.hatenablog.com


5年間。

とても長かった。

とても短かった。

我武者羅に走っていた20代が過ぎ、培った知的体力を駆使して、自分のなかでの経験・スキルが結実しはじめた頃だった気がする。
30代になり、仕事で求められる価値や、私生活のプライオリティが何か変化し始めた。

久々のエントリーでは、そのあたりの変化を記してみようと思う。

仕事の変化(Business, Work, Vocation)

2012年、戦略コンサルティングファームからネット業界に戻るべく、某社に転職をした。ふたを開けてみると、グローバルに膨張しつくした管理なき経営が、いつ破綻してもおかしくない状況にあった。自分も一時の興奮状態に酔っていた時期もあったと思う。
日本からグローバル企業が生まれる。そんな機運が高まっていたし、それを感じさせる予兆も確かにあった。業界全体としても興奮の渦にあった。


ほどなくして市場の競争激化と、新興勢力の台頭、様々な社会問題が噴出したことで、経営の中枢では冷静さを取り戻し(と、一文で終わらせられるほど軽くはなく、本当に濃密な1年だった)、経営の混乱を収束すべく全グループ会社の再編を進めることになった。
この再編を主導していた時期は、正直、辛かった。傍若無人に振る舞い、経営を混乱させていた当事者たちが、責任を取らずに辞めていくのを横目に、毎日毎日朝から晩まで、誰のために頑張っているのか、意義を見失う時期もあった。素晴らしく優秀で、国際色豊かな多国籍チームも解散した。
ブログの記事では、「志」高く、気を吐き、自分を鼓舞していた。内心では、自分も一区切りつけたら辞めてもいいかなと思っていたのだが。


人格者でもあり変革をリードしていた創業副社長に引き留められたことも大きい。彼の元に再編された国内全組織を一緒に軌道に乗せる役割を引き受けていた。
ぼくは、ミッションドリブンで生きているので、重責を担うのは心地がよかったし、自分としても、再編の一端を担った手前、グループ社員への責任意識が芽生えていた。
「残ってくれた仲間たちで成功したい。」と、強く思っていた。


そんな折、尊敬する彼が退任したときの衝撃は、今でも忘れられない。
なし崩し的に経営企画部長を引き受けて、初めてコーポレート部門のなかに入った。
そこで見たのは、数年前の大再編で離脱せずに残った”心ある同僚”たちが、いまだに歯を食いしばって耐えていた光景だ。
久々に言葉を交わす彼らがみな口々に、「待っていた。」と。歓迎と期待の言葉を口にしてくれた。


嬉しかったけど、なにを期待されているのか、意味がわからなかった。


でも、自分の心に再び火がともった。


ほどなくして役職と権限が広がった。
執行役員になった話は書いた通りだ。嬉々として書いているように読めるが、いろいろな葛藤を抱えていた。
yo4ma3.hatenablog.com


空白の5年間(前半)

ここからはブログに書き残せていない空白の5年間のうち、前半を簡単に振り返りたいと思う。


2015年から2016年にかけて、取締役会や経営合宿の舵取りを中心に、どんどん某社の経営変革のスピードを増していった。某社にとって、初めて「中期経営戦略」というものをオフィシャルに策定するサイクルが定着した。

ただ、経営企画での2年半は、充実から緩慢へと移っていく。ファームでは触らないガバナンスや経営実務も、当初は目新しく、自分の手で作る面白さもあったが、それは1年で消えた。2年目からは改善になるからだ。やり尽くしたとは言えないが、某社でやるべきことを長くコミットし続け、一定の責任を果たした自負はあった。


30代前半で、もっとレベルの高い環境に身を置かねばならない。リスクを取って、チャレンジしなければならない。と感じていた。


上記のグループ経営の実務と並行して、各事業への介入・関与を高めていた。
経営議論をリードしつつも歯がゆい思いを抱えていたので、各事業の手術現場に勝手に立ち会い、時に、自分で手を突っ込んで課題解決することでスピードを上げていった。
ぼく個人も、複数社の子会社取締役にも入り、まさに経営~現場まで、縦横無尽に走り回っていた。


新規事業を10個やり、9個敗戦処理した。ぼくが経営企画にくる前に立ち上げたものばかりだ。にもかかわらず、最後まで殿を務めるべき人が経営から去り、最後のボタンを押さねばならなかった。
「この会社には未来がないのではないか?」と閉そく感が漂い始めた。撤退戦を繰り返すばかりで、本業の成長にはまだ時間がかかりそうだった。
2016年末から2017年初頭にかけて、最後の撤退ボタンを押すと同時に、取締役会に、大型の投資案件をゴリ押しで通し、代表取締役社長としてグループ会社の経営に身を転じた。


投資案件を推進した理由は、大きく2つあった。

必要性に駆られたのが半分。グループ従業員の未来のために。

自分の色気が半分。この会社におけるキャリアの集大成として。




投資承認された日に、会議室で、男泣きした。
歳が3まわり以上離れている百戦錬磨の常勤監査役や財務担当役員に、影でずっと応援してもらっていた。その感謝を伝えた瞬間に、お互いに涙腺が崩壊した。久々に号泣した。
年齢を超えた男同士の絆が、そこにはあった。


失われた5年間(後半)

ここからが後半だ。2017年~現在までの話。


無理してでも押し通したグループ会社の経営に100%専念し始めた2か月後、(わたしが離れた本社側の)本業で長く仕込んできたプロダクトが爆発して業績が反転した。転職して以来、5年間かけてもがき苦しみ続けてきたことが結実し、一気に肩の荷が軽くなった。仲間を誇らしく思うと同時に、次は自分の番だ!と気合いが入った。


ただ、当の自分の会社経営の方はというと、、、、代表に就任して初日(Day1)で自分の見通しが激甘だったことを痛感した。当初想定していた、経営能力や組織基盤が、見るに堪えない酷い状態だった。交渉の過程が波乱万丈すぎて、もはや正常な判断能力を失っていたのかもしれない。
一抹の不安を抱えつつ、働く社員の志の高さ、情熱に掛けて、アクセルを踏み込んだ。


その結果、2年半で、事業規模は4倍、社員数も3倍に成長した。この年末にかけて、すべてのセグメント(事業)が計画以上に進捗してゆく。来年の見通しも明るい。
数字だけ見れば、最近上場しているベンチャーと遜色ないトラックレコードだ。このまま成長すれば、来期には上場してもおかしくないような出来栄えに見える。
(まぁ、某社のグループ会社なので、上場シナリオはない。親子上場なんて馬鹿なことはしたくない)


案の定、”ハードシングス”がたくさんあった。そして、いまでもたくさんの課題を抱えている。
取締役の退任、コンプラ問題の対処、TVCMへの投資失敗、組織再編の断行、事業のカーブアウト、など波状的に問題が起き、自分で対処に当たらないといけないため、本質的な事業・組織の改善が、常に後回しにされた。最初は好意的だった本社からの評価も日に日に厳しくなり、3か月おきに、本社取締役会で追及された。予算を2期回す前に、継続投資の縮小ジャッジが下った。


本社社長や取締役会から厳しく言われることには、慣れているので屁でもない。すべてに反論して、立ち向かって、虚勢を張れるだけの腹も括っていた。
人に指摘されるまでもなく、自分自身が、結果に一番満足できていないのだから。
それよりも、自分でできるはずのことが実行できないもどかしさと、目の前の従業員から投げかけられる不賛同の意思が、なによりも辛かった。


非情な判断をした。


神仏を頼るようにもなった。


心は弱ったけれど、ここまで投資をしてきた責任を果たす(結果を出す)ことは、諦めていない。
むしろ、この半年で事業再編が成功し、今期の業績見通しも立ち、一気に手ごたえが増してきたところだ。
背水の陣のなかで、今年、ようやく花が咲き始めた。


結局ひとは、「何を言ったか」よりも、「何をやったか」で評価されるべきだ。
だからブログも書くことができなかった。
毎日、欠かさず見ている分厚いシステム手帳には、色々な想いが書き綴ってある。


口だけ、最初だけ、で立つ鳥跡を濁しまくってきた人たちとは、根本的に違う。
「責任を果たす」ことの難しさは誰よりも知っているつもりだから、いまは生半可なミッションやビジョンを語るよりも、目いっぱい自分のなかにある責任意識をかき集めて、それにすがってでも、あらゆる判断を迅速に・強烈に推進できるようになった。
弊害として、現場の経営実務に専念するなかで、どんどん視座が低くなってきた。自分の内面で渦巻く言葉が陳腐になってきたように感じる。組織のメンバーに平易な言葉で、課題や方針を解き、そちらの視座に引っ張られているような感覚もある。
俯いていた顔を上げて、志高く飛び回りたい。
そんな思考習慣を取り戻すためにも、再び、ブログの筆をとったのである。



人生のミッション

昨年、会社のミッション・ビジョン・バリューを刷新した。特にミッションには、自分の人生を棚卸して出てきた思いを込めた。
リンダ・グラットン氏の「LIFE SHIFT」にも多大なる影響を受けた。

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)



会社のミッションを検討する過程で出てきた『可能性を価値に変える』という言葉は、今後の社会を構想する際にもキーになった。
意訳すると、

  • ”個”の可能性を、”社会/コミュニティ”の価値に変えてゆきたい。(自分もそういうチャレンジをしたい)
  • 1人1人が”自分らしさ”を体現できる社会にしたい。(自分ももっともっと体現してゆきたい)


いまでも色褪せずに、ぼくの心のなかで燃え盛っている。
本田圭佑が取り組む会社NowDoのミッションは、こう掲げられている。

「誰もが夢を追い続けられる世界を創る」

言葉は違えど、想いは通ずるものがある。共感しかない。


社会全体で効率化と合理性ばかりを追い求めた「近代」が終わり、これからは、多様性と個性の時代になる。世界3位のGDP規模にまで成長させてくれた日本の先人たちへの敬意を持ちつつ、バトンを受け取りたい。


これからは、僕らの世代が社会を作る番だ。ようやく。


ちなみに、世界を見渡すと、同い年にはマークザッカーバーグという変人がいるので、つまりは、そういうことだ。
イチローが引退し、中田英寿がビジネスに転じ、スポーツ界も世代交代が進む。
すぐ下の世代には、クリスチャーノ・ロナウドリオネル・メッシ本田圭佑田中将大錦織圭もいる。
ビジネスの世界でも、今年のSoftBank World 2019で、さらに若い、世界の天才たちが華々しくメディアに登場した。
ナンテコッタイ...


まぁ、冗談はさて置き、視座を上げて世界を見渡せば、だれもが世界を変えられる世のなかになってきた。
いまの自分の苦労なんてちっぽけだと思えるほど、壮大なビジョンに邁進し、実現しつつある人たちがいる。
ぼくも、そんな彼らに肩を並べて、世界を変える一員でありたいと思う。
今後もまだまだチャレンジし続けたい。


ほかの変化については、別記事にまとめて、順次アップしていこうと思います(2019/08/22)

仕事の変化(Business, Work, Vocation)

  1. たくさんのハードシングスがあった。
  2. 沈黙の裏で起こっていた、激動の5年間を振り返る。

yo4ma3.hatenablog.com


家族の変化(Family)

  1. 人生で果たすべきミッションが、アップデートされた。
  2. 新しい家族の話もある。

yo4ma3.hatenablog.com


健康の変化(Physical, Health)

  1. 食事、運動、睡眠、人間ドック、そして、心のメンテナンスについて

yo4ma3.hatenablog.com


スピリチュアルの変化(Spiritual)

  1. 昨年には、半年かけてエグゼクティブコーチングを受けて、自分の内面を掘り下げる作業もした。
  2. キャンプ・アウトドアにも目覚めて、自然に浸る喜びを感じるようにもなった。
  3. 前述のとおり、神仏の世界や、人生哲学についての勉強をしていた時期もあるし、一定の視点を育てられたように思う。

yo4ma3.hatenablog.com


知性の変化(Mental)

  1. 最近、家の積読を整理していて、何の気なく手に取り読む本すべてがドンピシャに当たっているので、少しだけ紹介しようと思う。

yo4ma3.hatenablog.com


お金の変化(Finance)

  1. お金と資産形成のお話です。勉強する前の若き日の自分に向けて、ポイントを羅列してみました。

yo4ma3.hatenablog.com


人間関係(Social)

(人間関係編に書きたいこと)

  1. んー、一番薄いかもしれない。この領域は自分として最も関心が薄いんですよね。