理論武装は弱さの証拠
小難しい記事が続いたので、軽いやつ。
コンサルの癖で、なにかを主張するときに、ついファクトやロジックを組みがちになります。明確な根拠無しに、スタンスをはることに、恐れすら覚えます。
ただ、完璧なんてありませんから、文字や資料に落とすときには、緩い部分と固い部分を、明確に意識して、【負けない】ように脇を固めます。それが正しい作法だと刷り込まれているし、クライアント大企業の信頼を獲得するために最適化された手法だからです。
日本だけではありません。海外のエグゼクティブ向けも同じです。
テニヲハ間違うだけ、数字1つ間違えるだけで、会社全体の信頼を失ってしまうので、ジュニアからパートナー、ディレクターまで、【正確さ】や【根拠づけ】には過敏に反応します。
揚げ足とられて、10億円、100億円のディールを失うくらいなら、血眼になってディテールにこだわるのも、無理はありません。
しかし、世のなかの大半の人には、関係のない話ですよね。
ガチガチの理論武装ばっかりやるつまんない人間と仕事をしていても、エキサイティングで学びにはなれど、楽しいわけがありません。
ロジック組まれた固いメッセージは、理解を促進できるけど、共感を呼び起こすことが難しいです。熱い想いや感情ダダ漏れのメッセージのほうが、共感を呼びます。
ぼくも理論武装しているときは、その思考過程すらも知的興奮に満ち溢れ、楽しいと感じてしまうくらいに、仕上がっています。筋道立てて、ロジックが通ったとき、無から有を生み出した快感に浸れるのです。気持ちいいんです。
しかし、ときどき思うのです。
これって、自分の弱さを隠すためじゃないか?
理論武装して、強くなった気になってないか?
守りたいものは、ちっぽけなプライドか?
アンパンマンは、理屈抜きで人を殴れるだろう?
そんなアンパンマンの話でした。