学生と議論したり、プレゼンを見ていて思うこと
コンサルティング・ファームでは、そろそろ最終面接やJobを終えて、内定を出す時期にきています。弊社でもリクルーティングの最終ステップがそろそろ終わろうとしています。
昨年・今年と、私も選考ステップの中や内定者との意見交換の場で、学生さんと議論をしたり、プレゼンテーションを見る場が多数ありました。そんな中、感じたことを少し。
最近の学生の傾向
「最近の学生は・・・」と自分の事を棚に上げて、親父臭いことを言うのは憚られますが、それにしても、最近の学生のクオリティには、良い意味でも悪い意味でも、個人的には驚きの連続でした。
一言で言ってしまえば、
年々、PPTを綺麗に作ったり、プレゼンをこなすことは上手い学生が増えたが、
全然、深く考えていない意見を、物怖じするどころか、自信満々に述べる人が増えた
という感じ。
もちろん、すべての学生を見ているわけではありませんが、毎年、直接50〜100人の話を聞いた上での実感です。
表面的に取り繕うのは、本当に驚くほど上手い。頭の回転も速く、受け答えも自信満々。対人能力も十分に兼ね備えた人も多い。他の学生から見たら、きっと「できる」人に見えそう。就職活動では、まず失敗しない感じ。
一方で、僕自身のことを正直に告白すると、ジョブのときに初めてPowerPointを使った上に、与えられたテーマも答えを見出せないまま悩み苦しみました。自信満々に、こうです!、なんて言えるレベルにまで行けなかったのが事実です。常に、う〜ん、う〜ん、と悩みながら、担当コンサルタントに相談していました。プレゼンもダメダメで、正直、落ちた〜とガックリきたのを、いまでも覚えています。
でも、僕みたいなのが通って、上手い人は落ちるのです。その傾向は、採用する側に回って、内定の出た人、出なかった人を見て、顕著に実感しています。
個人的には、採用したい学生の人物像の第一要件は、「物事を、きちんと、深く、考えられる人」だと思っています。
話をした学生さんには、皆さんに伝えています。それでも、翌日に、また同じ浅いことをやっている学生を見るにつけ、それが難しいことなんだと逆に気づきを与えられたりします。
「物事を、きちんと、深く、考えられる」とは
もちろん、筋の良い仮説を出せて、プレゼンも上手。地頭もよく、ナイス・パーソンなら、文句なく採用です。
が、それ以前に、物事を、きちんと、深く、考えられることの方が圧倒的に大事だと思います。
それができれば、浅い、薄っぺらい意見を、憚ることなく、自信満々にぶつけるような愚行は犯さないでしょう。
思慮深く、謙虚に、一抹の不安を抱えながら、振り絞った自信を纏い、自分の考えを理路整然、かつ、思いを乗せて伝えてくれる。
そんな学生になるでしょう。
「試験病」ともいえる、とにかく、空欄を無くすように、口八丁の浅い考えで解答欄を埋めて、できた気になるのはやめましょう。
逆に、答えを出すよりも、苦しんでください。そして、苦しんだ過程を見せてください。ちゃんと見ています。
答えが合っている/筋が良いことに越したことはないけれど、元々、世の中の誰も答えを持っていないことを考えていることを忘れないで欲しい。
「きちんと、深く、考えられる」ということは、「きちんと、深く、悩むことができる」と同義です。
インターネットや本で聞きかじった人の意見や、教科書に書かれたことを流用するのは、大学の試験においては良いかもしれません。現に、僕も何度も使った手です。
しかし、根っこの部分では常に疑問を感じる自分を見失わないで欲しい。これまで、何を考えて、どうやって生きてきたのか、ジョブや仕事を通じて露呈します。
いくら頭が良くて成績が良くても、悩むことができないのは、致命的です。プレゼンや説明が流暢な学生は、どこかで、考えるのを諦めてしまっているのが、手に取るようにわかる。そんな学生さんをふるい落とすだけでも、オファーに値する学生が激減してしまうのは、見ていて悲しいものがあります。
ぜひ、「試験はできなくてもいい」ので、考え切る、悩み切る、ことを粘り強く続けて欲しいと思います。
気づけば、他の学生さんには届かない高みに到達することができるはずです。