新聞を読まないのは、単なる怠惰だ
最近、コンサルタントでも、新聞を読まない人は多くいます。
ちょっと記事について話をすると、結構、知らなかったりする。特に、若手コンサルタントに、その傾向が強いように思います。
かく言う自分も、「知っていること」よりも「考えること」を重視する性根です。「知っていること」だけに大きなバリューを感じません。*1
PJのクソ忙しいタイミングでは、ネットニュースすら見られず、タバコのタイミングで、日経ネットから送られるメルマガのタイトルだけ見る程度しかできていません。何の気なく、新聞を読まない日もあります。
それでも、何が面白くて新聞を読んでいるのか、私なりの読み方をご紹介します。
僕は、いつから、新聞を読み始め、いつから、新聞を読まなくなったのか
中学時代から約6年間、新聞の切り抜きを続けていたことがあります。当時は、「世の中のことを少しでも知りたい」「出来る限り、知の関心領域を広げておきたい」という2つの純粋な欲求から、ひたすら、頭に引っかかった記事を集めていました。
この目的(欲求)からするに、一定の効果があったのは事実です。ネット環境のない、地方の田舎にあって、新聞から得られる情報は、遠い彼方の憧れの地の出来事のようでした。様々な妄想が膨らみ、いつしか成し遂げたい、大志のようなものが芽生えました。
新聞を切り抜くこと=世の中の一部を切り取って所有すること、と錯覚し満足していた時代です。いわゆる、「知の娯楽」に勤しんでいたわけです。そして、断片的な知識から、「考える」というより、「想像」「空想」「妄想」に近いことを延々、取り留めもなく楽しんでいました。
東京に来て、ネットや図書館、大きな本屋さん等、このレベルの満足を得るだけの手段はいくらでもあります。
それに気づいて以来、新聞の切り抜きを辞めました。
こうした新聞の読み方は、TVを見たり、漫画を読むのと大差ない、情報の消費という「娯楽」です。
要するに、「読む」だけでは、無意味ということ。
もちろん、見識を広げ、教養を深め、世の中の変化を知る手段として、いまでも新聞は有効だと思ってます。実体験として。長年続けていれば、効果があるでしょう。それでも僕が読むのを辞めた理由は、単純に、新聞から得られる知への欲求が冷めてしまっただけです。
正のフィードバックという脳内麻薬
そして、昨年途中から、再び、貪るように新聞を読んでいます。理由は2つあります。
1つ目は、マクロの経済環境や、様々な業界動向等、時代の潮流に関するリサーチを経験し、一気にベースとなる知識が出来上がったことです。
1つ知ると、もう1つ別のことがわかるようになる。この正のフィードバックが掛かっている状態です。ただし、毎日、新聞を読むだけではこの状態には到達しません。一瞬わかった気になって、新聞を理解できるようになりますが、全然面白くなりません。いつかは新聞から得られる知への欲求が冷めてしまうでしょう。
この「面白い」状態に至るためには?
記事の情報が、既に頭の中にある情報や仮説とぶつかり合って、スパークし、新しい考えに至ることが必要です。しかも、それが1日の新聞で5コも6コもあること。(1つや2つなら、毎日読んでいれば現れます。)僕もまだまだスパークしない記事が山ほどあります。もっと知れば10コ,20コとスパークがあるでしょう。極端な例では、株価紙面だって娯楽映画のように楽しめるようになるかもしれません。
では、そのスパークする状態になるためには?
ある程度の知識のバックボーンと、それについて、多少なりとも本気で考えたことがあることが必要です。そういう意味では、ご自身の所属する会社・業界の経営イシューや事業機会から始めるのが良いかと思います。
ハードル高いなぁと思われるかもしれませんが、ご自身の関わる業界・業務軸、取引先軸、直面する課題軸なんかで見てゆけば、かなり広い領域をカバーできるのではないでしょうか。問題は、常日頃から、そうした軸で自分なりの仮説を考えられるか、ということ。「仮説」とまで大それたものでなくとも、アンテナを張って、知見を収集し、自分が感じたこと・考えたことを、朧気ながら、頭の中に持つことができていれば、スパークするでしょう。
2つ目は、「集中の程度」×「時間あたりの投下量」に対して、より一層シビアになったことです。
短時間であれ、集中力MAXで頭をフル回転させると、脳が疲弊します。そして、1日に投下できる集中力の絶対量は、ある程度、睡眠時間と比例して決まってきます。*2とした場合、次に考えるべきは、「自分の集中力の容量を知ること」「知った上で、最も効率良い所に配分すること」です。特に、コンサルティングという頭を使う仕事で、自分のアウトプットを最大化するための頭の使い方は、是非ともマスターしたい。少し配分をミスるだけで、劇的に効率が落ちる死活問題となるからです。
上記の2つの変数を意識しながら、毎日15分や30分、集中して時間を投資することで、効率的なリターンを得られるようになります。スパークを最も効率的に起こすための、新聞の読み方を模索できるようになるからです。模索できれば、後は進歩するだけ。ここでも軌道に乗れば、正のフィードバックが掛かるようになります。
効率的な新聞の読み方は、人それぞれでしょう。関心のある紙面から読み始める、タイトルをざっと通しで読んだ後に気になるところだけ読む、全部斜め読み、などなどいくらでも方向性はあると思います。
新聞を読め。そして、考えろ。
さて、ここまで、僕が新聞を「娯楽」のように消費していたこと、それを辞めたこと、そして再び読むようになったことを話してきました。
そこでは、「娯楽」から「新聞を読みながら、考える」という習慣の変化がありました。
新聞記事の大半は、単なる事実の羅列でしかないし、本は、他人の思考過程をトレースしているに過ぎません。
新聞に書かれたことからファクトだけを抽出して理解する、本の著者の思考過程について行く、それだけでも十分な思考レベルが必要ですが、まぁ、そんな行動の価値はゼロだと思っています。それができて喜んでいるのは、自己満足以外の何ものでもありません。もちろん、知る喜び、は何事にも変え難い快楽の1つです。専門家になりたいならどんどんやるべきですし、趣味を否定するものでもありません。
一方で、われわれ、ビジネスパーソンにそんな悠長な時間がないのも事実です。新聞記事の1文1文を分析して、周辺知識をリサーチして、じっくり考える、なんて時間は、永遠に確保できないでしょう。いま頭の中にある情報だけで、意味のある面白い考えを持つ訓練をしておきたい。
具体的には、記事の情報から、その産業、会社の論点と仮説を考える癖をつける。移動中に読んでいれば、目的地に到着するまでの10分間に、どれだけ多くのことを考えられるか、試してみよう。慣れてくれば、記事のタイトルだけでも良いでしょう。
僕の師匠たちからは、こんな言葉を頂きました。
「1つの記事で、論点と仮説を100個くらい考えられなきゃ、まだまだだね。」
「先人の知恵を知らないまま、自分の考えたことだ!と喜んでいるのは、単なる怠惰だ。」
「他人の思考をトレースする時間は、出来る限り短く済ませる。」
「本を読むのに要した時間の、3倍の時間、考えろ」
思考訓練のために、新聞を読むことを勧めたい。本を読むことも同様です。(自戒を込めて
耳タコですが、結局、新聞記事からどこまで自分の思考を発展させられるか、が勝負です。
それが、いちコンサルタントとしての競争力の源泉となり得ます。
楽して、賢くなる近道なんてありません。
愚直に、丹念に、行動あるのみです。