人に厳しいことを言う辛さを飲み込んで
人に厳しいことを言う。
嫌なことを言う。
指摘をする。
非情な判断をくだす。
みんなが大変なことをわかりながら実行させる。
経営者は嫌な仕事が多い。
好きでやっているわけではない。やらなくていいなら、それに越したことはない。自分がもっと上手くできればいいなと、反省も多い。
褒めるだけ、諭すだけで、会社の仲間たちには気持ちよく働いて成果を出して欲しい。
さらに、ぼくから指摘を受けたミドルマネジメントは、自分で飲み込むか、うまくメンバーに落とす苦しみを味わうことになる。負の連鎖だ。
そこまでわかっているので、自分のキレポイントについては、相当意識してコントロールしているつもりだ。
例えばこんなポイントが、琴線に触れる。
- 組織や他のメンバーに悪い影響を与える言動。さらにそれを放置して見過ごしている上司の態度(具体例:会社の方針を蔑ろにすることを言う)
- 独りよがりな論理で仲間を振り回す言動(具体例:無茶な納期や品質を社内で強要し批判する)
- 組織のセクショナリズムやヒエラルキーを、増長するような言動(具体例:仕事のキャッチボール、たらい回し、責任転嫁)
- ゴールに向かって考え切っていない。サボっている(具体例:やると決めたことをできずに平謝りしてスルーしようとする)
結局、コトにあたっていない人には厳しくあたっている。全体のゴールに向かって、何ができるかを考えれば、本来、セクショナリズムなんて起こりえない。むしろ積極的に巻き取り、先回りし、協力し合う信頼関係がある組織になっていくだろう。
よく勘違いされるが、目標届かない、失敗をしてしまった、こういうことには怒らない。怒っても仕方ないので、優しく建設的な議論ができる。むしろ、みんなで議論して知恵を絞る、良い機会だ。
一方、チームのバリューを最大化する動きに反している人は、いる意味がないどころか、周りに迷惑をかけたり、頑張っている人をデモチさせてしまう。ここは、グッと堪えて、怒らなければいけない。
事が大きくなる、不可逆になる前に、日々のマネジメントで潰し込んでおかないといけない。
そして理想を言えば、自分が言わなくとも、ミドルマネジメントが同じ思いで、日々のマネジメントでそうした目を潰して欲しい。それが組織の文化となり、価値観として浸透してゆくからだ。
もしかしたら、ぼくがキレるやり方でも、短期的に成果が出るかもしれない。現に活躍している人、成果を出している人が、組織に反するような言動をするので、外すに外せないジレンマに悩むケースも多い。そういう人に限って、部下や周囲からの尊敬を集めていたりするから、経営者としては厄介だ。
それでも、成果を出すけど組織と同じベクトルを向けない人には、何度も何度も改善を促す話し合いをして、非情な決断を下す必要がある。降格させたり、外したり、という判断が、短期的に求心力を失うことになる。それでもやらねばならない。
ぼくもこうした判断で随分悩んだし、苦労をした。そこで、自分の価値観、哲学、ポリシーと何度も向き合って、遂に、納得した。
組織や人について厳しい判断をしなければいけないとき、判断に迷ったときには、こんな判断軸で決める。
「そんな人と一緒に成果を出しても嬉しいか?」
「長い目で見て、本当に良い会社になれると思えるか?」
事業の判断、投資の判断、よりも、組織・人に関する判断は、本当に難しい。
経営者が時間をかけて検討し、判断しないといけないくらいに、問題が大きくなっているときには、すでに遅い。日々の判断で先延ばしにしている、解決し切れていないものが時間をかけて積み上がってしまった結果だ。そして、すべてが自分の力不足だし、すべてが自分の責任だ。
だから、日々のマネジメントで、厳しくも規律を持って、嫌なことでも軌道修正をかけてゆかなければいけないと切に思う。声は大きくない、目立たないけれども、組織を支えてくれている心あるメンバーがたくさんいる。そんな人たちを悲しませないためにも。