ignorant of the world -散在思考-

元外資系戦略コンサルタント / worked for a Global Management Consulting Firm in Tokyo

人に厳しいことを言う辛さを飲み込んで

distress

人に厳しいことを言う。

嫌なことを言う。

指摘をする。

非情な判断をくだす。

みんなが大変なことをわかりながら実行させる。

 

経営者は嫌な仕事が多い。

 

好きでやっているわけではない。やらなくていいなら、それに越したことはない。自分がもっと上手くできればいいなと、反省も多い。

褒めるだけ、諭すだけで、会社の仲間たちには気持ちよく働いて成果を出して欲しい。

 

さらに、ぼくから指摘を受けたミドルマネジメントは、自分で飲み込むか、うまくメンバーに落とす苦しみを味わうことになる。負の連鎖だ。

 

 

そこまでわかっているので、自分のキレポイントについては、相当意識してコントロールしているつもりだ。

例えばこんなポイントが、琴線に触れる。

 

  • 組織や他のメンバーに悪い影響を与える言動。さらにそれを放置して見過ごしている上司の態度(具体例:会社の方針を蔑ろにすることを言う)
  • 独りよがりな論理で仲間を振り回す言動(具体例:無茶な納期や品質を社内で強要し批判する)
  • 組織のセクショナリズムヒエラルキーを、増長するような言動(具体例:仕事のキャッチボール、たらい回し、責任転嫁)
  • ゴールに向かって考え切っていない。サボっている(具体例:やると決めたことをできずに平謝りしてスルーしようとする)

 

結局、コトにあたっていない人には厳しくあたっている。全体のゴールに向かって、何ができるかを考えれば、本来、セクショナリズムなんて起こりえない。むしろ積極的に巻き取り、先回りし、協力し合う信頼関係がある組織になっていくだろう。

 

 

よく勘違いされるが、目標届かない、失敗をしてしまった、こういうことには怒らない。怒っても仕方ないので、優しく建設的な議論ができる。むしろ、みんなで議論して知恵を絞る、良い機会だ。

一方、チームのバリューを最大化する動きに反している人は、いる意味がないどころか、周りに迷惑をかけたり、頑張っている人をデモチさせてしまう。ここは、グッと堪えて、怒らなければいけない。

事が大きくなる、不可逆になる前に、日々のマネジメントで潰し込んでおかないといけない。

 

そして理想を言えば、自分が言わなくとも、ミドルマネジメントが同じ思いで、日々のマネジメントでそうした目を潰して欲しい。それが組織の文化となり、価値観として浸透してゆくからだ。

 

 

もしかしたら、ぼくがキレるやり方でも、短期的に成果が出るかもしれない。現に活躍している人、成果を出している人が、組織に反するような言動をするので、外すに外せないジレンマに悩むケースも多い。そういう人に限って、部下や周囲からの尊敬を集めていたりするから、経営者としては厄介だ。

 

それでも、成果を出すけど組織と同じベクトルを向けない人には、何度も何度も改善を促す話し合いをして、非情な決断を下す必要がある。降格させたり、外したり、という判断が、短期的に求心力を失うことになる。それでもやらねばならない。

 

 

ぼくもこうした判断で随分悩んだし、苦労をした。そこで、自分の価値観、哲学、ポリシーと何度も向き合って、遂に、納得した。

組織や人について厳しい判断をしなければいけないとき、判断に迷ったときには、こんな判断軸で決める。

「そんな人と一緒に成果を出しても嬉しいか?」

「長い目で見て、本当に良い会社になれると思えるか?」

 

事業の判断、投資の判断、よりも、組織・人に関する判断は、本当に難しい。

経営者が時間をかけて検討し、判断しないといけないくらいに、問題が大きくなっているときには、すでに遅い。日々の判断で先延ばしにしている、解決し切れていないものが時間をかけて積み上がってしまった結果だ。そして、すべてが自分の力不足だし、すべてが自分の責任だ。

だから、日々のマネジメントで、厳しくも規律を持って、嫌なことでも軌道修正をかけてゆかなければいけないと切に思う。声は大きくない、目立たないけれども、組織を支えてくれている心あるメンバーがたくさんいる。そんな人たちを悲しませないためにも。

 

 

 

人生分岐シナリオの擬似体験

Sheep

不定期に、同じ夢、似た夢、を繰り返し見ることってありませんか?ストーリーは違っても、いつも同じ街並みや光景が出てきたり。ここで言う「夢」は、寝ているときのやつ。

ぼくは、3つくらいある。そのうち1つについて、書いてみたいと思う。

 

 

それは、いまの会社を辞めて、前職のコンサルティングファームに再就職する夢だ。

なにかの拍子に、現職に軽く辞めることを伝えて、次の瞬間には、ファームのオフィスに出入りしながら、オフィス内やビルを動き回るのだ。そして、雰囲気がすっかり変わったオフィス環境と、見覚えのない同僚たちに毎回、自己紹介をしたり、雑談をするが、プロジェクトに何もアサインされていないのでただ単に暇にしている。そこで、突然、プロジェクトにアサインされる苦しみ、タイトな納期やクライアントの期待を超えるプレッシャーをありありと思い出す。そして、もう戻れない現職の自由な環境に戻りたい!と焦って、残念に思いながら夢が終わる。

細かい展開は、毎回違うが、ストーリーは同じだ。

 

しかも、この夢を見る回数が増えるたびに、用意周到に、確実に転職したことを確認しながら、いよいよファームに戻った、これは現実なんだ、と夢のなかで確認をしている。

 

謎である。

寝起きの気分も悪い。起きた瞬間に、現実を確認して、安堵するのも億劫だ。

 

現職の経営ポジションを辞めるつもりはない。

前職のファームに戻るつもりもない。いつでも戻れるや、いま戻ったらパフォームするかな、くらいはたまに考え程度だ。

またあのハイプレッシャーな環境で、土日も気が休まらないクライアントへのコミットは、大変すぎる。

ぼくにとっては、恐ろしいシナリオの夢なのだ。

 

この夢を見ると、なにかの潜在欲求の反映というより、未来のシナリオを「擬似体験」させられている気分になる。そう、未来映画の夢オチ、バーチャルライフSFといったものを見たときの感覚にすごく近い。

 

お陰で、いまの仕事のありがたみや、もっとこうしたいという欲求を再確認できる。

最近、VRでけん玉訓練して、実世界でも上達する動画が人気だったが、夢のなかやVR空間での訓練による習熟、発達の実用化は、すぐ目の前にきている。もし、夢を自由にコントロールできるなら、こうしたいろんな人生のシナリオを擬似体験できるのは、割と面白いなと思った、という話でした。

 

母の病室とKindle本

Mother Alone

最初に言っておくと、オチはないです。

 

先日、母の軽い手術の立ち合いで、千葉のとある片田舎の総合病院で半日を過ごす機会があった。

そのために休暇をとったので、平日片道1時間の電車に揺られる時間と、手術中の待ち時間を持て余すことになった。

母の手術は病気でも怪我でもないので、特に家族や人生について感傷に浸るという感じでもなく、年末年始に追われた家族対応と仕事初めのアドレナリンから弛緩して、久々にひとりの時間を持てたことに安堵すら感じていた。

 

手術前にランチに抜け出し、メール対応やテレカン1本をこなしつつ、のんびり千葉の広い空を眺めた。

 

厄介だったのは、手術中の家族待合室での待機だ。窓もない狭い部屋にソファーとテーブル、手洗いの洗面台のみがある、質素な空間に4〜5人が2時間ほど押し込められた。

携帯をみると、電波がなく、ゲームやネットサーフィンは不可。しかも病院によると、基本的に部屋から離れるなと。緊急時に捕まえるためだと思うが、ちょっとイケてない。

案の定、ほかの人たちは(年配の女性が多かった)ひたすら壁を見つめるか、目を閉じて寝たふりをするかしていた。もしかしたら大変な手術の最中で、気が気ではなかったのかもしれないが、皆目知る由はない。

 

困り果てた僕はというと、持参した本を病室に取りにいけず、期待した携帯ゲームもできず。唯一できたことは、予めダウンロードしていたKindle本を読むことだ。

しかも機種変更したばかりで、過去の積読が読めず、何気なくKindle Unlimitedで確保しておいた2冊のみが頼みの綱だった。

 

そんな状況に追い込まれないと読まないくらいの本なので、たいして期待はしていなかった。1時間ほどで1冊読み終え、もう30分でもう1冊読み終えたところで、ちょうど先生が来てくれて救われた。

 

知りたい希有なブログ読者のために、読んだ本を挙げると、2冊はこれだ。

戦略読書日記 (ちくま文庫)

戦略読書日記 (ちくま文庫)

 
資本家マインドセット (NewsPicks Book)

資本家マインドセット (NewsPicks Book)

 

 

楠木先生は「ストーリーとしての競争戦略」で有名になった人だ。本は面白かったが、一癖も二癖もある御仁なので、ストーリー〜以外のほかの本や記事は一切読んでなかった。

本書は、久々の楠木節で、エッセイ解説っぽくもあり、なかなか楽しめた。また読みたい本が増えた。

 

三戸さんは「サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい」の人だ。ぼくは事業承継に関心があるので前著には目を通していたが、あまり頭脳タイプではないのでどうしても文章に薄さやムラを感じてしまう苦手なタイプ。

本書は、軽く読めるスナック菓子としては良かった。目新しさはないが、彼自身の経歴が語られつつ、資本ゼロでも志があればなんとかなる、という論旨には共感を覚えた。

 

 

帰宅列車のなかでは、新作携帯ゲームの素材集め周回を無心にやりつつ、途中帰宅ラッシュに巻き込まれながら、昼に爆食いした山岡家のラーメンに胃もたれしていたのでした。。。

 

 

 

武井壮に学ぶ「数の論理」と「時間の価値」

Singer

 

偶然、テレビで武井壮の話を見ました。「林先生の初耳学」で、ニート向けに授業をするという内容でした。

俳優をやっていた兄の死から遺志を受け継いで、30歳を過ぎてから芸能界を目指した話です。芸能界に入るからにはTVに出続けられることをゴールに、1週間分の番組欄を分析して、「ニュース」「動物」「スポーツ」などの人気ジャンルを抽出。その習得に向けて、毎日研鑽した結果、オンリーワンのコンテンツになれたというサクセスストーリーを引き合いに、ニートたちに向けて「いま自由に使える“時間”が強みになる」と力強くメッセージしていました。

 

番組を見る前まで、武井壮のことをすごくクレバーで努力家な印象しかありませんでしたが、生徒役のニートたちがみんな話にどんどん引き込まれ、納得してゆく様子を見て、彼の本当のすごさは、相手の懐に入り、納得させてゆくだけの、どこまでも相手目線のプレゼント思考、バリュー提供思考にあるんだなと思いました。

 

ググれば彼のインタビューがたくさん出てくると思います。

 

 

例えば、お笑い芸人や有名歌手と友達になって、彼らの話を全部録音して、シャドーイングして身につけた話。

武井壮は、ただ徹底的な努力をしたという話だけでなく、芸人や歌手たちが凄いのは「求められる相手の数」であって、トークが上手い、歌が上手い、という「質が良いからではないんだ」と気づきます。

日本一、世界一の上手さをただ究めるのではなく、多くの人に求められるものを提供できなければいけないのだと。

 

質ではなく、数。

 

言葉にすると当たり前ですが、これに気づいた時には、恐らく、天動説から地動説にシフトしたくらいのインパクト(コペルニクス的転回)があったことでしょう。

 

僕もともすると無意識に、自分のスキルや能力に、ただ直線的な向上を求めることがあります。それを理想として、突き詰めてゆけば、いずれ競争力を持ち、他人からも必要とされるようになるだろうと。そう考えている人も多いと思います。

 

一方で、芸人や歌手は、「どうやったら売れるのか?」を徹底的に追求しています。たくさんの苦労の末、多くの人から求められる、拍手をもらえる、見てもらえるようになったものは、「芸」と呼ばれます。

 

ビジネスマンとしては、経営者だろうが、サラリーマンだろうが、資本家だろうが、芸事を身につける必要はないし、必ずしも人気商売を目指す必要はありませんが、売れる必要がない人も、

 

時間の価値を最大限活かして、数の論理で勝ち切る。

 

というメソッドを、覚えておいて損はないと思います。世の中に価値を生み出すことができなければ、持続的に、価値をお金や信頼、資産に転換してゆくことはできませんからね。

 

シンプルに、価値を生み出す方法論、を突き詰めているのが武井壮なんだという発見でした。

 

 

 

やり続けることの大切さ

Penguin Number One

前日の記事で、市場や競合の理解って、なかなか難しいよね、という話を書きました。予測や解釈が間違うだけならまだしも、自分の経営判断をそれで間違えてしまっては、元も子もない。ヨメないところは、正直、様子見するほかなく、あまり参考にしないのが良いことを学びました。

 

たまに参考になるケースは、戦略や打ち手の方向性は間違ってないし、アイディアも素晴らしいのだけれど、「やり切れていない」「勝ち切れていない」ものを見つけたとき。

 

たかだか半年でも、人は簡単に諦めて、少ない資本にもかかわらず、さらに他のことに手を広げ、打開したくなります。

 

同じことをやっていたド競合や先駆者が、気づいたら、勝手にリングを降りていた、という経験が沢山ありました。

筋はいいけど、コラボしている相手が微妙だったり、手広くやりすぎて全部微妙になっていたり、という事業・サービスもたくさんあります。

 

 

有名な話として、

Googleは12番目の検索エンジンだった 。

facebookは10番目のソーシャルネットワークだった。

iPadは20番目のタブレットだった 。

という。

 

 

必ずしも最初にやった、先発組で取り組んだ、ファーストペンギンが成功する訳ではないのです。初期にうまくいっているように見えたサービスや企業が成功する訳ではないのです。

彼らが成功したのは、時流に加えて、運にも加えて、正しく努力しきったことにあります。

 

 

嘘みたいにみんなが早々に諦めるので、「正しくフォーカスして、やり続ける」だけで勝ててしまうんですよね。もちろん、正しい土俵で、正しく戦っていることが大前提です。

 

みんな意外と「捨てること」「集中すること」「継続すること」の価値を軽んじています。

 

新しいことの方が、やっていて面白いし、採用も広報もしやすい、メンバーマネジメントもしやすい。投資家や家族友人からのアドバイスやプレッシャーもたくさんある。筋が悪そうなら、すぐに諦めて次々新しく仕掛けたくなる誘惑がたくさんあるのです。

 

 

うちの会社では、この3年間、ビジネスモデルのレベルで新しく取り組んだことは1つもありません。3〜4つの事業モデルを固定して、そこにしっかり集中して、ひたすら、それぞれを伸ばすことに専念してきたと思います。

そして、ようやく昨年末に全ての事業がバシッとはまり、会社全体でも大きく利益を出すことができたのです。

 

途中で何度も誘惑がありました。先行していた会社が、ほかの土俵に手を広げる姿を、羨ましく思いながら、歯を食いしばってスルーしてきました。辞めた幹部社員もたくさんます。それでも、勝てると見込んだ土俵で、当初の大仮説を進化させながら勝ち切ることに集中するのです。

 

 

当たり前ですが、1つの土俵で勝ち残るだけでも、いろんな工夫やチャレンジが必要です。だから、ビジネスモデルは固定していても、飽きることなく、むしろ、偶然や運を味方に、新しいことに取り組んできました。

難しかったのは、それが土俵際に収まるチャレンジングな取り組みなのか、土俵を変えるような取り組みなのか、を見極めながら、素早く優先度を判断して、見切りをつけていくことです。やっていくうちに、どうしても刹那的に手を出したくなる施策が出てくるのです。わたしも何度も失敗しました。

 

ただ、やり続けることで勝つことを知っていたので、時に、社員をデモチさせながらもストップさせたり、大変で気が乗らない大事な事柄に向き合わせたりをしてきました。

 

それができたのも、

これをやり切ってダメなら、世界中の誰も成功しない!

自分以外に、これを成功まで持っていける奴はいない!

というところまで、苦しみながら、迷いながらも考え切って、腹をくくることが必要でした。

まだ煮えきらず、判断に迷いがあるときは、どうしても粘りが甘くなります。考え切れていない仮説は脆いです。また、腹をくくるだけなら、アホでもできるので、蛮勇と確信を取り違えないように注意しましょう。

 

 

もし、いま、自分がやっていることがうまくいっていないとき、「やり続けることで勝てるかどうか」、一度立ち止まって、仮説の詰まり具合を確認してみると良いと思います。

そんな話でした。