ignorant of the world -散在思考-

元外資系戦略コンサルタント / worked for a Global Management Consulting Firm in Tokyo

僕の目指すプロジェクトゴール

yo4ma32011-12-30
さて、Tweet再編集の第4弾です。
今回は、2011年07月23日のつぶやきを振り返ります。
僕がプロジェクトで、どこを目標に置いて、クライアントに提言しているのか。抽象論的ですが、言語化したものです。

人に会って話すこと

最近立て続けに、いろんな人とに議論していて、人とのインタラクションはもの凄く大事だなぁと思います。
どんな些細なことでも、自分では触れない脳の別の部分が刺激されて、新しい境地に辿り着くことができます
会う前と会った後で全く別人になるかのように、新しい思考の境地に立てる感覚。


この感覚は、以前なら「考えが違う」と切り捨てていた部分を拾って、さらに昇華できるようになったことが大きいのかもしれません。1回の会話から、明確に得るものが、増えている気がします。



人との違い

こうした人に会うメリットに対して、逆に「人との違い」も多々感じます。
何よりもまず、自分はとことん考えるのが好きなこと
次に、言葉や文字への依存度が極端に高くて、一言一句に思考が左右されること


ちょっと実業よりも研究肌だなと、もの凄く感じます。
それに、楽観的でもあります。夢や妄想をイメージで語るのが大好きで、同時に、悲観的に分析する癖も。


また、自分のGrowth Story を練り続けるのが趣味です。
人に勝つのが目的ではなく、単純な自分の使命感と好奇心が原動力。他人との競争なんて興味ないし、どうでもいい。

僕の価値観と目指すこと

さて、前置きが長くなりましたが、上記のような背景をベースに、バリュー(=クライアントに提供すべきコンサルタントの価値)って何なのか?、プロジェクトのテーマから離れて、それ自体について日々見つめなおしています。


そこで立脚点になるのが、目の前の二人称を幸せにすること。とにき、一人称を犠牲にして。これが、究極の幸せ、という価値観で動いています。
三人称になると、本気でコミットするのは難しいですね。社会に貢献するとか、高次な欲求が前面に出るほど人間できてないのでしょうか。それ自体が目的化するのは、貴族や特権階級の仕事なのかもしれません。
昔につぶやきましたが、『目の前の人の幸せが積み重なって、社会がより良い方向に、つまりは、幸せが最大化する方向に動く』というのが理想だと思っています。
仕事では、「クライアントを通じて社会に良いインパクトを与える」、「クライアント企業がいまよりも良い戦略を採ることで、結果として社会・国がより良い状態になること」、と言い換えることができます。


もしかしたら、1つ1つは、部分最適かもしれません。それは時代背景や、見る人の立場によって、解釈が変わるでしょう。


全体最適からあるべき部分最適を考えるべきであって、常に、全体観を捉えるよう努力すべきだと思います。
しかし、実際の組織においては、コンフリクトが起きるのが普通です。
個人的には、理想よりも現実を汲み取った、ちょっと高めの目標を具現化したいと思っています。そういう意味では、仕事においても、クライアントにとって意味のないベストの解より、意味のあるセカンドベストの、ギリギリの境界を目指したい。こんな考え方なのかもしれません。
誤解のないよう言っておくと、この「セカンドベスト」というのが「単なる妥協案」とは似て非なるものだということです。妥協すべきところはどこで、絶対に妥協してはいけないところはどこか、この「見極め」が肝で、そんな簡単にできるものではありません。クライアント企業ならではの歴史背景、組織構造、その他施策との連動、制約条件などなど、その瞬間の文脈を読みきって「解」を提示しなければなりません。


イメージは、学問と実業のピンポイントの境目を狙ってる感覚に近い。理想と、現実の延長の間の何か。


こういう、「目指すべき姿の理想」、が食い違うと話がいつまでも合いません
自分がhappyと感じるための目的関数や、その根本的な思想の違い(宗教論争に近い)がいつまでも噛み合わないと、組織の足並みは揃いません。永遠に。会社がそこで働く人に「理念」を刷り込むのもよくわかります。

RT @petitviolet: @yo4ma3 資本主義の中でコンサルタントとして価値を出すためには、他人との競争から目をそらすことは出来ないのでは、と感じますが。

必ずしもそうでもないのよ。資本主義はあくまで相対価値だから。
絶対価値で動いたもの勝ち、という側面もあります。
企業として、競争=相対的な考え方抜きには語れませんが、そもそも競争しない勝ち方もあるということです。
個人として、より価値のあるコンサルタントと認めてもらうために、他人と競争するよりも、“独自の味”を追求して突き抜ける方法もあります。特に、優れたコンサルタントほど、後者で勝ち抜いているように思います。


繰り返しますが、理想と、現実の延長、の間にある何か、というのはもの凄く難しい領域です。
大半は折衷案という形で諦めてしまうんだけど、そうじゃない。何か、という、それ自体が独立した理想形なのです。
そこを追究して、考え続けない限り、ウルトラCで解なんて生まれない、これは断言できます。

RT @petitviolet: @yo4ma3 絶対的に優れている物を提供できるから、またその自信があるから勝てる、と言うことですか?

ちょっと違う。自信なんていらないよ。確信は必要。言葉遊びに聞こえるかもしれないけど、優れているっていう相対評価がいらない、ということ。


それでも、価値を感じるのは他者であって、他者の評価が、価値のすべて


そういう、絶対価値基準と、理想と現実の延長の間にある何か(他者も認める価値=相対価値)、が同じゴールにある。だから、それ自体が独立した理想となる。


だから、妥協案とか折衷案ってのは、相対的な価値軸の中からしか生まれない発想であって、解が全く同じでも、絶対的な価値軸でたどり着いた理想とは、思想として雲泥の差がある。というか、同じ解になること自体、殆どあり得ない。


だから、コンサルタントとして、人間として、絶対的な価値軸で動いている人ほど強い
もの凄い良いポイントをついた解に辿り着けるから。


と、いろいろ思考を巡らせみたのは、二人称を幸せにする価値観から、コンサルティングワークにおける価値の出し方、思考の背景にある思想が、実は、一貫しているということ、を言語化してみただけです。
別に、良い悪いの価値判断をしてるわけではないよ。こうすべき、って話でもなく、単なる自分の理解用。
なんか小難しい話になってしまったけど、考えるのが普通に好きで、それがValue&Moneyにつながる、いまの仕事は超ハッピーな環境ということを再確認した一連のtweetでした。