ignorant of the world -散在思考-

元外資系戦略コンサルタント / worked for a Global Management Consulting Firm in Tokyo

「ウェブ進化論」と「ウェブ時代をゆく」を読んで

最近は、2日に1回くらい本屋に行っては、本を買いだめしている。そこで、なんとなく手にした「ウェブ時代をゆく」を読むべく、「ウェブ進化論」も再読してみた。ちょっと検索すれば莫大な量の書評がすでに書かれているので、自分が論評するまでもないだろう。
ここでは、私の今回の読書体験を述べることにする。


ウェブ進化論

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

私が最初に「ウェブ進化論」を読んだのは、1年間eコマースのサイトを運営した直後のことで、多少なりともネットについての知識や経験もついてきた頃だった。そのときの感想は、正直、たいしたものではなかった。というより、ロングテールオープンソースの話の凄さについて、『リアルに経験を伴った理解』をすることができなかったのだ。そう、本書にも登場するように、

「・・・私だって、わかったふりはしているけれど、ぜんぜん想像ができないんだ。だから、どれだけ大きな意味のあることなのかも実感できない。・・・」
from「ウェブ進化論」p025

まさに同じことが自分の中で起きていた。恥ずかしながら、覚えていたのも、『複雑系』を読んで知っていたブライアン・アーサーが出てきたことと、MITのオープンコースウェアくらいだ。
いま、さらに1年間ITベンチャーでのインターンを経て、インターネット事業について、2年前とは比較にならないほどの理解を得たつもりだ。そして、改めて読み直して、著者の文章力に感動を覚えた。


これほどまでに、丁寧に、そして深く、忠実に、ネットの中で起きていることを書き表した入門書は、他に類を見ない。


また、著者の経験に基づく、鋭い考察に、何度も膝を打った。ロングテールWeb2.0についての本も一通り読み、実際にそれらを利用したサービスについて脳ミソに汗かいて考えたつもりだったが、自分は全くわかっていなかったのである。2年間IT業界に飛び込んで身体で経験したその集大成は・・・「あえなく撃沈」といったところだろう。それは、「あちら側」と「こちら側」の比喩が、最初に読んだときに比べて、すんなりと深く理解できたことによるものであり、むしろ喜ぶべきことかもしれない。
内容に関しては、すでに言い古された、既視感のあるグーグル批評であったり、インターネットの可能性についての議論である。この「既視感」は、本書のおかげも多分にあることだろう。
今回、過去の2年間の経験を棚卸しし、整理しながら読み進めた。再読した後、私の頭の中はあちこちが刺激され、ネットの「あちら側」への想像を膨らませる余韻に浸った。非常にすっきりと清清しい気持ちだった。
自分にとって良書か凡書かという判断基準は、内容云々よりも、「いかに自分の頭の中を刺激してくれたか」という指標が大きい。その意味で、この本は間違いなく、「かつての自分」にとっては凡書であったが、「いまの自分」にとって良書であったといえる。
巻末にあるように、

・・・
「アナロジーで理化しようとしてはいけない」というファイマン教授の言葉
・・・
ネット世界を丸ごと身体で理解している若い世代
・・・
ウェブ進化を、アナロジーによってではなく丸ごと理解してほしい。
from「ウェブ進化論」p248

この言葉通り、丸ごと理解できた気がした。



ウェブ時代をゆく

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

そして、本書を読み進めたのであるが、、、


こちらはもっとアツかった!


著者のパーソナリティが全面に押し出された文章は、特に、大学生〜若手社会人の読者層には、とてつもなく刺激的だと思う。私を含め、そのオプティミズム(楽観主義)に良くも悪くも「毒されてしまう」だろう。著者は、まさにシリコンバレーの空気」を運んできたのである。いますぐにでもネットの「あちら側」に飛び込みたくなる気持ちを抑え、「毒されてしまった」人には、再読をオススメする。幾分か冷静に読んだ後に、自分に必要な箇所だけ、自分の脳の中に仕舞えばよい。
特に印象に残ったフレーズを引用する。

「群衆の叡智」とは、ネット上の混沌が整理されて「整然とした形」で皆の前に顕れるものではなく、「もうひとつの地球」に飛び込んで考え続けた「個」の脳の中に顕れるものなのだ、・・・
from「ウェブ時代をゆく」p017

まさに、わが意を得たり!と。同様に、度々登場する『無限から有限を切り取る』という表現も好きだ。
ここに登場する著者の比喩は秀逸である。何度も登場する羽生さんと同じくらい、ネットに関しての洞察は天才的だと伝えたい。
そして、

グーグルが何ものなのかをだいたい理解し、影響する経済についての規模観が「広告産業のサブセット」程度だとわかったとき、旧来型メディアの大半は「経済のゲーム」という観点からは興味を失っていくはずである。
from「ウェブ時代をゆく」p048

ここまで読んでと、もう降参してしまった(笑)こちらはまさに常日頃から考え、ネットサービスに従事していた頃、もっとも頭を悩ませた問題も、あっさり表現されていた。

グーグルは(中略)ウェブ空間に「特殊なコミュニティ」を作りそこに集積された叡智から利益を上げるという手法を取らない。グーグルは、「知と情報のゲーム」がしやすくなるようウェブ2.0時代の技術インフラを提供する企業だからこそ「経済のゲーム」という観点から見ても強いのである。
from「ウェブ時代をゆく」p073

これを読んで、かつて「社内の技術をつかって、何かWeb2.0的サービスを企画せよ」と言われて、必死こいて考えたことを思い出した。結構いい線で悩んでいたんだなぁと。むしろ、その強みをわかった上司だったんだと改めて気づかされました。RSS広告などの独自技術を持った会社はやっぱり強いんだ。



ネットの世界の最先端を生きる若者たちは、すでにネットとリアルを区別しない。「区別して理解しよう」と考えた瞬間に、もう理解できなくなっているのだとと言う。
from「ウェブ時代をゆく」p030

私の世代にも、子供の頃からコンピューターに慣れ親しんだという人はいるが、大半は、小中学校時代にWindows95が発売され、その頃から少しずつパソコンを触るようになった。その変革期を体験した私でさえ、すでに日常の一部と化したネットをリアルと感じてはいるものの、江島健太郎氏の言うような「第六感」の獲得には苦労している。
著者がここでいう『ネット=リアル』の図式は、もっと根源的で、まさに『ネットに「住むように生きる」人たち』のことである。その人たちでさえ、もしかしたら第六感を進化させる途上なのかと思うと、何とも心もとない、無限の宇宙に放り出された孤独感を感じずにはいられなかった。そして、正直、著者の説くこれからの「個」の生き方そのものに、激しく共感を覚え、惹かれた。


また、海部美和さんのブログを引用して、

「・・・コンピューター、ソフトウェア、ネットの力でこれまでよりも圧倒的に多くの「普通」の人たちも、クリエーションの楽しさに触れることができるようになった。(中略)これまで自分ひとりの力では手の届かなかったものに、なんらかの力を及ぼせる、その手ごたえがある。彼らはそれに熱狂しているのだ」
from「ウェブ時代をゆく」p049

他にも登場する、シリコンバレーで活躍するエンジニアたちの「エンジニア・マインド」と言えるような考え方に、何度も刺激を受けた。
巻末にあるように、

モノを各意義は、それを読んだ人の心に何が生じたかに尽きる、と私は思う。
本書は、まじめで一生懸命な若者たちの、そして昔そういう若者だった大人たちの心の中に、未知の世界を楽しむエネルギーが生まれて欲しいと思いながら書いた。
from「ウェブ時代をゆく」p243

前著「ウェブ進化論」に続き、またしても「著者の手のひらの上で、目一杯楽しませていただいた」というところだろう。