ignorant of the world -散在思考-

元外資系戦略コンサルタント / worked for a Global Management Consulting Firm in Tokyo

ナシーム・ニコラス・タレブ「まぐれ」を読んで

yo4ma32009-09-12
ブラックスワン」で有名になった、デリバティブのロングのみをポリシーとするトレーダーのタレブ氏。
その2001年発刊の初著「まぐれ」を読んでの書評を書きたいと思う。



僕がBlogで本を紹介するときや、公の場(WEB上のポータルサイト等)で書評を書くときには、1つの習慣がある。
「他人の書評を一通り読む」ことだ。
本の中身の紹介なんかは、僕がいちいち書く意味はないし、
既に同じような評価や考察を他の人がしている場合、オリジナリティがない。
もう既に言い古されたような評価を下すほど、無意味なエントリーはないだろうと。


そんなことを思いながら、他のサイトの書評を読んでいたわけだけれど、
本書に対する書評には、ある傾向がある。

  • 日本語訳うんぬん言っている(複数あって、悉く、本人降臨)
  • スタンスを張らない、或いは、迎合する書評
  • 自分の思考過程を晒す書評


そこで、こういった書評群をダシにしたエントリー。
「書評の評論」という形で、この本の紹介としたいと思う。
Blogを引用して、あえて名指しで批判するような無粋な真似はしたくないので、
もし、興味のある方は、ご自身であちこちの書評を読んで頂きたい。
"タレブ まぐれ:Google検索"



日本語訳うんぬん言ってるのは筋違い。

最初に言っておく。
本書は、哲学書スタイル”で書かれている。


哲学書スタイル”というのは、

  • 著者の思い思いのピースを、様々な例を用いながら、順番に記述することで、ストーリーを展開していく
  • そのストーリーに沿って、自分の普段の行動や思考に照らし合わせ、考えながら読み進める本である

ということ。
それは、目次を読んだ瞬間に、その「ストーリーの読めなさ」からわかるほどに、自明のこと。
ご丁寧にもプロローグの前に載っている「各章の要約」や、各章の始まりにあるキーワードの羅列でも、容易に推測が付く。
多くの人にとっては、そう読まれていないようで、誤解している人が多いのは非常に残念なこと。
日本語訳うんぬん言ってるのは筋違い。
確かに読みにくい文章だけれども、翻訳者に対する批判はもっての外である。


「読みにくさ」には、
「文章と文章のつながりが、すっと入ってこない(ストーリー展開が突発的・予測不能)」場合と
「1つの文章の中での日本語の言い回しが稚拙で、理解に時間を要する」場合、
の2パターンがあると思う。
前者は、著者のストーリー展開や文章力に依存するし、後者は、訳者の巧拙に依存する。
この本は、明らかに、前者の原作のストーリー展開に問題があり、決して後者の翻訳者の技量によるものではない。


一度、英文資料の翻訳を経験した方なら、わかってもらえるだろう。
本書の日本語に関しては、1文、1文、慎重、かつ、入念に、言い回しを練られた跡が、あちこちに見て取れる。1つ1つのの文章は、十分に「速読に耐えうるだけの綺麗な日本語」に仕上がっている。
本書の読みにくさは、著者のせいであって、訳者のせいではないのである。


なぜ、そんなに読みにくい文章になっているのか。
タレブ氏がもともと、(ご自身では批判的な)哲学者のようなモノの考え方をする人で、そういうスタイルの文章を書く人だからだ。
もうこれは仕方がない。
後書きによると、タレブ氏の自由な(他の人には予測のしにくい)ストーリー展開のまま出版するよう、
わざわざ尽力された、ということなので。
読んだ方にはわかると思うが、逆説的で、非常に面白い現象だと思う。


以上のような文章スタイルなので、本書は、速読に向かない
僕自身も、ある程度の速読はできるのだけれども、読了に3時間、考える時間を含めて平日3日程費やした。
1文、1文なら速読できるが、段落と段落、章と章のつながりを咀嚼し、内省するのに時間がかかるためだ。
そこで真っ先に思ったのが、
かのdankogai氏が、他の本と同じように、15分で読んで書評を書いていたとしたら、ぶん殴ってやる!(見損なう!)
ということ。
"真の「迷著」 - 書評 - まぐれ(404 Blog Not Found)"
さすがに、そこまでアホじゃなかった。1時間半かけたようで安心。



迎合するな、スタンスを張ろうよ!

Amazonの書評をご覧いただければ「★4つ」が最多となっている。「★1つ」、何かが足りない本ということだ。
それでいて、Googleで検索した限りにおいては、批判的な書評に出会ったことがない。むしろ、迎合しているようにすら見える。
これもまた特徴的な現象だと思った。
僕の推測としては、
 「読みにくさ」で☆1つ分欠けてしまっている一方で、
 昨今の金融危機で凋落した投資家やトレーダーたちの、“愚かさ”を言い当てている点で☆4つプレゼント
といった具合なのだと思う。
ただね、

迎合せずに、スタンス張ろうよ!


別に、★4つなら4つでいいんだよ。
でも、中身の紹介に終始するものが多すぎて、読んだ方が良いのか、読まなくて良いのか、わからない書評が多すぎだ。これは、僕自身、買うときに困った。
日本語の問題以外で、中身を論じてよね、ということ。


じゃあお前はどうなんだ?と言われれば、
残念ながら、僕にとっては、本書に書かれた内容はインパクトが薄かった
理由はいくつかあるけれど、本書の中で大きなインパクトのある2つの事柄について、
既に、自力で腹落ちするだけの考えを持っていたことが大きい。
具体的には、

  • 過去に、「帰納的誤謬」について、ハゲる程、悩んだ経験があったこと
  • 市場の日々の動きが“ノイズ”に過ぎないことを、僕自身が散々、同僚と議論してきたこと

がある。


しかし、★をつけるとしたら、★★★★★。
詳細は後ほど。

内省書くなら、もう少し、読者のこと考えて!

もう少し、他の人の書評について。
先に述べたとおり、「哲学書」のような気質を持つ本であるために、自分の内省を、書評としてエントリーしている方もあった。
これはこれで良いことだと思うんだけれども、
「じゃ、この本読むべきなの?」という、肝心の読者へのメッセージが欠けているものも、しばしば。
結局、最後まで読む気にならない、長文となる。(この記事も長文だろって?ごめんなさい・・・。)


内省書くなら、もう少し、読者のこと考えて!


僕の評価

★★★★★ に二言はない。
もし、あなたの周りに、「帰納的誤謬」について知らずに、調子に乗っている人がいて、ウザいと感じているなら、この本を薦める。
また、あなたの周りに、為替や株価の1ポイント1ポイントで、一喜一憂している人がいて、その話に乗れない自分に少しでも劣等感を感じているなら、この本を薦める。
きっと、心の安定剤になるはずだ。

特に、本書の経済学批判は、痛快だ。
僕が読みながら立ち止まって考えた、著者のメッセージを引用する。

  • リスクに気づいたり、リスクを避けたりといった活動のほとんどをつかさどるのは、脳の「考える」部分ではなく、「感じる」部分なのだ(リスクは感覚だ!)(P.58)
  • 私たちは普通、歴史から学ばない。(中略)やけどするまで火のついているストーブに触るのをやめない。人にどれだけ言われようと、ちっとも用心するようにはならない(P.75)
  • アイディアは古いものこそ美しい(P.82)
  • 蒸留された考えを好むということは、年寄りの投資家やトレーダーを優遇するということだ(P.87)
  • 期間を短くとると、ポートフォリオのリターンではなく、リスクを観察することになる(P.92)
  • 「どうせブタを食わされるのなら、最高級のブタがいい」。どうせ偶然に振り回されるのなら、美しい(そしてたわいもない)類の偶然に振り回されたい(P.104)
  • 損をする確率は小さいが実現すれば大きな損が出る一方、儲かる確率は大きいが実現しても利益は小さいとき、ゲームにかつ確率を最大化しても、ゲームで得られるものの期待値は最大化されない(P.155)
  • どんな稀な事象が起きても、そのことでひどい目には合わない形にすること(P.164)
  • 人は自分が成功した場合、運の要素を認めないけれど、失敗した場合、全部運のせいにする(P.194)
  • 私たちの脳は、非線形性を扱うようにはできていない(P.221)
  • 推定や予測そのものより、その信頼度の高さ(信頼水準=考えられる予測誤差の大きさ)のほうが重要だ(P.265)
  • 私たちは、成功すればそれは自分の能力のおかげ、失敗すればそれは運が悪かっただけだと考えるのである(P.294)
  • 幸せな人たちは充足化するタイプの人たちであることが多い。自分は人生で何がしたいかを知っていて、満足したらそこで立ち止まることのできる人たちだ。彼らの目的や求めるものは、経験とともに変わらない(P.311)

少しでも刺さるメッセージがあるようなら、読んで損はない。
著者との知的格闘を通じて、広がる世界がきっとある。


ただし、この本を読んで、著者のような生き方(「自分の弱さを自覚して、ノイズをシャットアウトする」とか、「過去の情報に、何らかの法則を見つるような愚かなことはしない」とか。)を実践する人は少ないんじゃないかと思う。
結局、毎日、日経新聞を読むし、目の前の現象に対しては、何らかの理由付けをしながら処理をし、日々を過ごしてゆく。


でも、心配はいらない。
「再現性のある強み」を持つ人ならば、過去の自分を信じて突き進んでよい。
まだ見つけられていない人は、「ストレングスファインダー」をやってみると良い、というのが僕からの提案。

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

本の中では繰り返し、


「才能」ある思考パターンを認識し、「知識」「技術」を磨くことで、
「強み」を「常に完璧に近い成果を出し続ける能力」まで高めよ


と述べられている。


「強み」とは「常に完璧に近い成果を出し続ける能力」
「強み」てのは、本人にとっては当たり前のこと。


そうゆうこと。


ちょっと、書き足りないので、後ほど加筆します。加筆しました。25:00)

コンサルタントの葛藤

本書の中には、たびたび「帰納的誤謬」についての言及がある。短期的に目の前に見えている事象だけで、帰納的に導き出した法則を信じすぎてはいけない、と口を酸っぱくして指摘している。それで、過信するなよ、と。
マーケットの人間に対しては、あながち間違った指摘ではないと思う。


しかしながら、「経営」というのは、限られた情報の中で、できる限り早く、「確からしい」決断をしなければならない。そんな意思決定をサポートするために、コンサルタントは存在するのであり、そこで用いられるメソッドには、「イシュー分解」、「仮説構築」、「仮説検証」と一連の流れが存在する。
この流れの中で、著者の指摘するような「ブラック・スワン(黒い白鳥)」は、考慮されない。
(そういうリスクが問題になりそうならば、話は別で、シナリオ・プランニングなどは、こうした蓋然性の高いリスクに対する複数のシナリオと対策となる戦略を検討するのが主眼となる)
むしろ、そんな瑣末な議論は、意思決定の邪魔にさえなるために、恣意的に削除する場合もある。


本書を読んだときに、いち早く感じたのは、実際の経営でブラック・スワンをどこまで考慮に入れられるんだ?という現実問題への適用の話と、僕自身の生業と著者の指摘する問題の整合性についてだ。


「問題解決思考」系の本を読んだことがある方ならご存知の通り、コンサルタントの思考プロセスは、論理的な分解(発散)と、“要するに”の抽出(収束)を死ぬほど繰り返す。特に、初期の収束の過程においては、著者の言う観察事項からの「帰納的な導出」過程と、非常に似た問題を孕んでいるように思われる。
しかし、僕自身の経験上、これまでの提言で、間違った結論を導き出した覚えはないし、いまでも正しい、と心の底から信じている。


この差は、どうやら、本書には書かれていないことらしい。
コンサルタントの思考プロセスに、帰納的な部分があろうとも、著者の指摘する経験則の帰納的な延長解釈とは、本質的に異なることを議論しているように思う。
僕らは、企業の本質的な課題を見つけ出し、解決策を提案する。無意識的にではあるが、この過程で生じる帰納的議論は、必ずしも「将来」について、帰納的に導き出そうとしているのではなく、あくまで顕在化している課題解決がベースにあるから、そこまで環境変化に影響されないのかもしれない。
もちろん、新規事業の検討や、中長期の戦略を検討するにあたって、ブラック・スワンのようなシナリオは当然織り込むのだけれど。その織り込み方は、必ずしも帰納法だけでなく、ゼロベースでフラットに複数の軸で評価することが多い。


お酒の入った頭では思考がまとまらないけれど、葛藤の必要はなさそうだ、ということがわかった。